運命改造の瞬間〜私の人生を変えた入魂のライティング

運命改造の瞬間〜私の人生を変えた入魂のライティング

 

講座の本題に入る前に、私の運命がライティングで変わったお話をしようと思います。

 

これは
正確に言うと「ライティング」にもなっていないのかもしれません。
「作文」なのかもしれません。

 

しかし、
この出来事を振り返るとき、
ライティングの力の凄さと、
その運命への影響力の凄まじさを感じます。
(当時は、意図して書いたのではありませんが)

 

ブレインダンピング〜無意識にしていた「自分のたなおろし」

私は39歳でリストラに遭って、
お金がなくても時間がたっぷりあって、
フラフラしていたのですが、

 

何をしようという気にもなれず、
動くこともできず、
料理を作るのも面倒くさくて
カップラーメンを食べるのですが、
意識をふっと失って、汁をズボン一面にこぼして
それを拭くこともできないまま、床に突っ伏している日が重なりました。

 

倒れたまま動けない日々、
少し動けるようになって、
派遣アルバイトをしたけど、月2回くらいしか仕事を回してもらえなかった日々、

 

こんなことを経て、
「俺は、こんな状態になるために生まれてきたんじゃない!
こんなことになるために、必死で勉強してきたんじゃない!」

自分の心の中で叫んでいたんです。

 

 

ある日私は
幼いころから自分が何を考え、何を夢見ていたのかを、
カレンダーの裏に書いてみました。

 

かたっぱしから書いた。

 

(これは、
あとで知ったのですが
「自分たなおろし」(ブレインダンピング)
というワークと同じなんですね。)

 

 

それで、
忘れていたことに気づきました。

 

私は子供のころから
体の不自由な人やいじめられる人が幸せになれますようにと
何度も祈っていたんです。

 

福祉のボランティアにも行っていたことを思い出しました。

 

そうだ、
ホームヘルパーを目指そう!

 

子どものころからの夢の原点を思い出しました。

 

ホームヘルパーになりたい!

 

当時私はもう39歳にもなっていましたが、
年のことなんか気にせず、
心に夢を持っていたら、20代の青年と対等だと思い、

 

ホームヘルパー養成講座に通いました。
そして無事講座を卒業し、
いざヘルパーになろうと、

 

ハローワークを何カ所も渡り歩くのですが、
そこでも壁にぶつかりました。

 

求人票では「年齢、性別不問」と書いてあるのですが
いざ連絡してみると、「男性はお断りします」「30代後半の男性は厳しいです」
とあいそうもなく断られるのです。

 

1件だけならまだしも、ハローワークや新聞広告などから37件問い合わせて、
全部最初から断られました。

 

「くそっ
こうなれば、女性になるしかない!」
ここまで思いつめました。

 

運命を開いたライティング

 

「もうダメだ、夢なんか追い求めるのはバカだった・・・」
こう思って
ヤケクソで
抹茶アイスを6個ほどバク食いしていた時、

 

トゥルルルル・・・
電話がかかってきました。

 

「あなたの感想文を読んで、心が動かされました。
今から事務所に会いに来てくれませんか?」

 

福祉サービスのNPOの責任者の方からの電話でした。

 

じつは、
その何か月か前、

 

ホームヘルパー養成講座の卒業前の現場実習があって
実習先のNPOで、訪問介護の実習をしていたんです。

 

実習が終わるとき、感想文を提出しなければならなかったのですが、
何も考えず、ただ感じたことを思い切り書いてきました。
その文章が
NPOの責任者の方の心に刺さったのだそうです。

 

どんなに障害が重くても、人は人を救うことができる

 

 

その実習先は
自分で動くことのできない重度のご夫妻のお宅で、

 

一人のヘルパーがお二人を介護していました。
当時の介護保険制度ではまかないきれないところを、
NPO独自の活動で、夜勤も含めてお二人を介護されていました。

 

私は
お二人が食卓に並ばれたとき、
手を握り合われる姿を見て、
とめどもなく涙が流れました。

 


(個人情報の配慮のため、写真を載せられませんが、イメージとしてはこんな感じです。(PIXABAY提供))

 

そして上を見上げると、達筆で書かれた書。
「汝のなすべきことを、主にゆだねよ」
おそらく聖書の一句でしょう。

 

「これは、奥さんがお元気な時に書かれたのですよ」と先輩ヘルパー。
奥さんも、お話はできないものの、私の顔を見てニッコリ会釈をくださいました。

 

この書を見て私はさらに泣きました。
まるで
自分に語り掛けられているようで。

 

「おい、おい」とニッコリと、ご主人。
仕事にもならない私をたしなめてくださっているのでしょう。

 

帰りがけに、
感想文を書きました。
何を書いたのかは覚えていません。

 

その日の実習で感動したことを、感動したまま、
書きなぐるように書きました。
まるで小学校の時の絵日記ですね。

 

泣きながら書いていたことは覚えています。
おそらく、感情的でへたくそな文章だったのでしょう。

 

一気に力を入れて書いたから、
字も乱暴でさぞ汚い字だったでしょう。

 

私は、その日の実習で命を救われたんです。
前の日、
心の傷の症状がひどく出て、
自分で自分に何をするかわからないほど危なかったのです。

 

それが、
運命のような実習先で
ご夫婦のお姿に触れ
確信したんです。

 

どんなに障害が重くても、
人は、人を救うことができると。

 

私は救われました。

 

人生の出会いを開いたライティング

こういうわけで
実習先に感想文を残していったのですが、

 

その後、ハローワークや新聞、タウン誌の広告などから片っ端から
ヘルパー募集に応募するものの、
履歴書を書くところまでたどり着かず断られる日が続きました。

 

そんなある日
実習先のNPOの責任者から電話がかかってきたんです。

 

一日に何件もの実習生を受け入れているNPOなので
感想文が責任者の目に触れるまでに時間がかかるのでしょう。

 

「今読ませていただきました。
いま時間ある?
今すぐ会えないかな?」

 

私の
泣きながら書いた下手くそな文章が、
心を打ったのだそうです。

 

思えば、その文章が
NPOの責任者の方との出会いになりました。

 

その後、正式にホームヘルパーとしてNPOに採用され
そこで現場で訪問介護をしながら、
社会福祉士を目指して通信教育を受けました。

 

こうして
下手くそで不器用な文章(これを「ライティング」というかどうかは議論の余地がありますが)は

 

私の今日までの道を開いてくれたのです。

 

不器用でも魂から出た言葉は人を動かす

 

このことから

 

「たとえ不器用でも
魂から発せられた言葉は
人を動かす」

 

という一つの真実が分かると思います。

 

手前味噌で恐縮ですが、
あの時の感想文は、
決して、文章として良いものではなかったと思います。
しかし、
心の内を
なんにも偽ることなく、
飾ることもなく
突っ走るように書きました。
見直しも何もしませんでした。

 

この文章から
私の魂が人の目に入ったわけです。

 

今振り返るに、
これが、本当の意味での「ライティング」の原点だったのではないかと
いま
しみじみ思います。

 

 

これから、「ライティングの基礎」について
投稿していこうと思いますが

 

いろいろなテクニック、表現術が世界に山ほどありますが
その底流にあるのは
自分の中の魂の
ほとばしる思いであることを、いつも忘れないでいたいと思います。

 

 

 


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