終戦記念日の黙祷に思う〜ゆるしの奇跡が起こるとき

終戦記念日,黙祷,,渡辺和子,奇跡

コロナウイルスのパンパンデミックが始まった年の終戦記念日を迎え、
私たちのほとんどは行事に参加することなく、
家から黙とうを捧げました。

 

今日の黙祷で私は、
20代のころお会いした渡辺和子先生の
強烈なお話を強く思い返していました。

 

そのお話は

 

父を殺害されても、許せますか

1936年2月26日早朝
数人の陸軍将校がノックもせずに土足で自宅に入ってきた。

 

「隠れなさい」

 

お父さんは少女を物陰に隠した。
5歳になったかならないかの
まだ幼い少女は恐怖で身がすくみ、物陰から様子を見ていた。

 

まもなく、耳をつんざくような銃声。
何発もの銃弾が
少女のお父さんに浴びせられた。

 

 

当時の2.26事件の報道写真

(画像引用:ウイキペディア 引用画像のリンクはこちら )

 

 

少女の見ている目の前で
大好きなお父さんは、残酷な姿で殺された。

 

2・26事件である。

 

教育総監 兼 軍事参議官の渡辺錠太郎 陸軍大将は、
幼い娘 和子の見ている目の前で、殺害された。

 

 

和子さんの優しい父であった、渡辺錠太郎大将。

(画像引用:ウイキペディア  引用画像のリンクはこちら。 )  

 

和子 。

 

のちにカトリックのシスターとなり、
ノートルダム清心学園の理事長となられた
渡辺和子先生です。

 

渡辺先生は
その後、このむごい光景の記憶がトラウマとなり、
精神の病まで発症し、長年苦しみ続けられます。

 

30年前にお会いした渡辺和子先生の思い出

 

今から約30年前になるでしょうか。
私は20代で、船乗りになるために広島で学んでいました。

 

ちょうどそのころ、
ノートルダム清心学園の学長を当時務めておられました渡辺和子先生が
平和記念講演のため、広島の平和記念大聖堂に来られたのです。

 

(ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子先生

写真引用:Amazon https://www.amazon.co.jp/ )

 

 

私はいてもたってもいられず、
私は足を運び、聴きに行きました。

 

 

(カトリック幟町教会 世界平和記念聖堂のたたずまい

 写真引用:カトリック幟町教会公式ホームページ http://noboricho.catholic.hiroshima.jp/ )

 

 

 

平和をあきらめないでください

 

講話の中で
渡辺和子先生はこう話されました。

 

「平和。
それはなんとむずかしいことなのでしょう。

 

人のこころに「ゆるし」ということの本当の真実が根ざした時、
本当の平和が訪れるのでしょうね。

 

しかし、人はそれをあきらめてはなりません。

 

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ゆるすこと、その難しさ、
しかし、ゆるすということの真実に本当に気づいたときの
心の平安を、心の底から感じたとき、
その人のこころに本当の平和が訪れるのだと思います。

 

私はそう信じて生きて行きます。」

 

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渡辺和子先生は涙を浮かべながらこう話されました。

 

 

(当時渡辺先生が話された カトリック幟町教会 世界平和記念聖堂

 写真引用:カトリック幟町教会公式ホームページhttp://noboricho.catholic.hiroshima.jp/ )

 

 

 

ゆるしの深さ、むずかしさ

 

渡辺和子先生は続けられます。

 

「私はカトリックの洗礼を受け、
イエスが生涯をかけて教えられた「ゆるし」について、
理解してきたつもりでした。

 

教師としての壇上でも、
生徒さん達に、「まず人をゆるしましょう」と教えてきました。

 

でもね、
それが本当に難しいことだって感じたことがありました。」

 

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お父さんの墓前で

渡辺和子先生は声を詰まらせながら
話されます。

 

「2.26事件の時、
私の父が、私の目の前で何発もの銃弾を受けて、軍人たちに殺害されました。
父が殺されたことのショック、
そのあとの苦しい日々のことは今も忘れようと思っても忘れることができません。

 

戦後のことです。
ある日、私は父が眠っている墓地にお墓参りに行きました。

 

そのとき、
私よりも先に、
何人かの男性たちがお参りに来て下さっていて、
お花を供えて下さっていました。

 

私はその男性たちに一礼しました。
男性たちは、深々と私に頭をお下げになられました。
そしてその方々がお顔をあげられたとき、
それは見覚えのあるお顔でした。

 

忘れもしません。
私の父に何発もの銃弾を浴びせて殺害した、
あの青年将校たちの関係者の方だったのです。

 

 

イエスさまが教えて下さったとおり、
私はもうその方々を赦しているんだから・・・・
その方々も、父の墓参に来て下さってるんだから・・・・

 

そう思うのに、

 

私の胸に込みあがってくる何とも言えない思い
言葉では表現しようがありません。

 

 

何とも言えない思い・・・・」

 

 

(ここで渡辺先生は話が詰まり、少し沈黙がありました。)

 

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どんなに泥だらけでも平和は必ず見つけられる

 

渡辺和子先生は言葉が詰まり、
しばらく下を向かれていました。
次の言葉が出てこない様子でした。

 

 

私も、自分の背中にずしッと
重いものがかぶさってくるような感じを受けました。

 

そして重い空気を破るように続けられました。

 

 

「ゆるすってことが本当に難しいことだと思いました。
しかし、その難しいことを、イエスは教えられました。

 

人にとって、どんなに難しいことであっても、必ずできることだから、

 

何年かかっても必ずできることだから・・・・」

 

 

そして、目の奥に涙を浮かべながら
渡辺和子先生はしめくくられました。

 

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「平和は形だけのことでも、きれい事でもありません。

 

しかし、どんなにどろどろの人生、
どろどろの社会にあっても
人は必ず平和を見つける。

 

私たちのこころに本当の平和が根ざすときが必ず来る。

 

私はそう信じます。」

 

(上記は、私が当時聞いて覚えている記憶から書いており、
正確でないことをお断りします。
当時取っていたノートは、あることで全て失ってしまい、
記録が残っていません。
しかし、渡辺先生の講話のこの部分は、
今もはっきり覚えているので、記憶をたどって書きました。)

 

渡辺先生の最新の著書は、最近亡くなられる前に出版されたと聞きます。
まだ未公開の遺稿も書かれており、近日私も購入して
もっと渡辺先生に近づきたいと思っています。

 

 

「あきらめないこと」〜いま、講演を思い返して思う

 

この講演をされて、30年以上が経過しました。

 

そのあいだ
私の上にもいろいろなことがあり、

 

人をゆるすことの難しさも、
人にゆるしてもらうことの難しさも、
そして自分自身をゆるすことの難しさも
骨身にしみて経験してきた。

 

近年、
ユーキャンから渡辺和子先生の最新のお話の録音が発売されたとき、
私は飛びつくように買いました。

 

その講話集の最終章で
渡辺先生は

 

人生で起こるすべてのこと、どんなに過酷なことにも、
感謝できる時が必ず来ることの確信を述べられ、

 

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結びに

 

「父が殺されたこと、
それも目の前でむごたらしく殺されたこと、
そのことにも感謝できる気持ちになるまでに、
十何年も、いえ、何十年もかかりました。」

 

と締めくくられました。

 

渡辺先生は
あの時の記念講演で宣言された生き方を
長い歳月の中で
確証されたんだなと思いました。

 

あのときに、お話を聞いていたからこそ
込みあがってくる思いがありました。

 

 

ゆるしても 心の傷とPTSDの苦しみは続く

 

きっと渡辺和子先生は、
大好きなお父さんが目の前で
むごたらしく殺されていく姿に深い心の傷とショックを受け、

 

何年も、何十年も、
PTSD(心に傷を受けた後に現れる、非常に苦しい心理的症状)
に苦しまれたのだと思います。

 

カトリックのシスターになられた渡辺先生は、
頭でも心でも、自分の心に傷をつけた加害者たちをゆるしておられたと思うのですが、

 

ゆるしと傷の症状は別です。

 

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いや、カトリックのシスターであるからこそ、
「人をゆるしなさい」というイエスの教えとは関係なく
怪物のように襲いかかる、過去の傷、
過去の生々しい情景

 

(PTSDの過酷な症状で「フラッシュバック」といいます。
それはそれは本当に過酷で残酷な症状です。)
に苦しめられ、

 

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「イエスの教えを受けているのに、人を許せない私自身を許せない!」
そして
時には自分をなきものにしてしまいたいという気持ちと葛藤しながら、
修道生活を続けてこられたのだろうと思います。

 

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シスターとして修道生活を続けつつも、
うつ病を長年患い、
専門病棟の中で自分を責め続けられた日々のことも
講話集の中にありました。

 

 

心に根付いていく、真実の平和とは

 

「人のこころに真実の赦しが根ざすとき、
本当の平和が訪れる」

 

 

渡辺和子先生のこの確信は
どろどろの修道生活の中で、
本当のものになったんだなあ・・・・
私はそう感じました。

 

心からそう感じました。

 

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そう。
渡辺先生のCD集を聴き終えて、
初めてお会いした時から25年以上時が経って

 

私が経験してきた、口では到底言えない、つらかった思いがこみ上げて
感激で、何時間も泣いていました。

 

 

まとめに代えて

 

この記事のまとめがまだできません。
答えが見つかっていません。

 

ゆるし と 平和

 

それは、人類にこれからも突き付けられている、
何かなのかもしれません。

 

「そんなきれいごとなんか言わないでよ」
傷だらけの心の声が聞こえてきそうです。
私の傷だらけの心もまた、そう言っています。

 

でも、今の私が叫ぶことができるなら

 

「それでも
あなたの魂は自由だ」

 

ということです。

 

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泣きたいとき、叫びたいとき、耳が裂けるほどの声で泣き叫んでいい。
でも、泣くことも、笑うこともできないのなら、無理しなくてもいい。

 

あなたの魂は自由だ
あなたの魂はあなたのものだから、

 

人に言われて無理することなんか、必要ない。

 

私はそう言いたい。

 

結びに代えて
私は、渡辺和子先生の霊前に、1曲のオカリナ演奏を捧げたい。

 

オカリナと古代笛で一人多重奏をした
カッチーニのアベマリア変奏曲「魂は自由だから」です。

 

 

 

終戦記念日,黙祷,,渡辺和子,奇跡
スピリチュアルメッセージ「きみの魂は自由だから」〜オカリナと古代笛によるカッチーニ・アベマリア変奏曲

 

 

 

 

追伸 :でも、赦すっていったい何?

しかし、
いまでも正直言って私は感じてしまうのです。

 

ゆるすってことは何?
生きるってことは何?
進歩するってことは何?

 

自分自身の上にも襲いかかってくるこの問いに
時として耐えられなくなります。

 

そんな時、私は1冊の本に巡り会いました。
この本は私の心を直撃しました。

 

もう、
考え方ががらりと変わりましたね。
こちらの記事に書きました。

終戦記念日の黙祷に思う〜ルワンダ虐殺を生き延びた女性によせて


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