運命を変える言葉の力〜自分への1通の手紙が呼んだ奇跡の出会い
あれは、社会福祉の道を志そうと思い立つ少し前の頃だと思います。
私は深い心の傷を負っていて、
自分で自分に何かをしてしまうほど危険な状態でした。
そのときに自分自身に書いた1通の手紙。
使っていないカバンを整理していたら出てきました。
改めて読んで涙が
自分であることを諦めるな
「たとえ、あと数分の命でも、
その数分、大切に、大切に、生きること。
苦しみのたうち回る状況でも、
自分のいのちをあきらめず、
このいのちを大切に持って生き抜くこと。
人間には平等に、いつかは死が訪れる。
これは避けられないかもしれない。
病気が重ければ、
いのち永らえるのは難しいかもしれない。
しかし
どんな境遇であれ
自分が自分であることは
自分自身が決めること。
決して
自分であることをあきらめず
たとえ数分のいのちでも
自分で居続けたい。
大切に大切に生き抜きたい。
自分であることを
決してあきらめたくない。」
自分で自分に書いた手紙
この文章は、
今日、古いかばんの中を整理していたら出てきた手紙の内容です。
手紙と言っても、何かの紙の裏に雑な文字で書かれたものです。
宛先は自分自身。
15年ほど前のころ、
私は心の傷と向き合っていて、
何回もフラッシュバックを起こすなどの危ない目にあって、
自分をなんとか、救い出さなければならないと、
なにかの紙の裏に、必死で書いた文章です。
ここに書いてあることを読んで、当時の自分を思い出し、
涙が流れました。
心の傷から来る病気が
これほど苦しく
実際に痛く、
これほどしんどいとは・・・、
呼吸するたびに
胸のあばら骨に激痛が走るんですよ。
まるで鋭い針でかき回されているような尖った痛みが恐ろしくて、
フ、フ、フ、フって
浅い呼吸しかできないんですよ。
毎日欠かさず吹いていたオカリナも
吹けなくなってしまいました。
音楽家が
音楽をできなくなる苦しみ
わかりますか?
生き生きと暮らしていた頃には
想像もできませんでした。
オカリナも吹けなくなって
ズキンと
心にまで棘が刺さりました
しかし、
しんどい真っ最中にも、
心の傷に潰されて、ぺしゃんこにされることに抵抗し、
「たとえ、あと数分の命でも、
その数分、大切に、大切に、生きたい」と
自分への手紙を書き始めていたんです。
ある利用者さんとの出会い
社会福祉の道を歩き始め、
覚えること、勉強すること、
慣れなければならないことがあまりにも多く
この文章を書いたことすら忘れていました。
しかし今思うと
まるで点と点がつながるように、
私と価値観を共有できるNPO法人に出会い、
そこでヘルパー兼ケースワーカーとして仕事をはじめ、
そんなある日、
訪問介護サービスのヘルパーとして行った先で
あるご利用者に出会い、
いまも宝物にしている言葉をいただきました。
その言葉とは
「生きるってことは、愛だよ。」
です。
生きるってことは、愛だよ。
「生きるってことは、愛だよ。
愛に理由も、格好もないんだよ。
あなたのいのち、
だれも代わりに生きられないんだよ。
そんな大切なあなたなんだよ。
だから、
たとえ短いいのちでも、
100歳になっても生きるいのちでも
このいのち
生きて、
生きて、
生き抜こうね。
それが
愛だよ。」
言葉は一度発せられると、生きて歩き始める
この言葉をくださったご利用者様はもう亡くなられていますが、
いのちをこめた言葉は、
生きて、伝えられ、
それを聞いた人の心の宝になっています。
そして、
私が書いた、私自身への手紙。
この手紙の内容を、いま見つけて改めて読んで、
自分でも驚きました。
その後、
私が出会った利用者さんがくださった言葉
「生きるってことは、愛だよ。」
この2つの言葉は、
時間的にも、関連性のうえでも、
つながっていません。
それが、
まるで私が書いた私自身への手紙を読んで
返事をくださっているかのように
私にくださった言葉が
「生きるってことは、愛だよ。」でした。
言葉は生きて
どこかでつながって
続きの言葉を呼ぶんでしょうね。
いのちを吹き込まれた言葉の不思議
このように、
いのちを吹き込まれた真実の言葉「真言」は、
それを発した人、
それを聞いた人の成長に向けて、
歩き始めます。
だから、
これからも、何かを書くとき、
何かを話すとき、
何かを演奏するとき、
自分自身も、それを聞いたり見たりした人も、
ともに成長できるような、
魂を込めた言葉やコンテンツを発信していきたい、
そう強く思います。
これからも応援してください。
よろしければ
私のこれまでの歩み、6分ほどですので、聞いてください。
↓
シゲヒロのプロフィール音声