地震と豪雨災害を生き抜いた子猫ユスタちゃん〜愛と幸せの泣ける物語

このブログには、管理人のシゲヒロに加えて、アシスタントとしてユスタちゃんが時々出演します。この記事では、ユスタちゃんとの出会いと今日までの涙と感動の物語をご紹介します。今はとても幸せなユスタちゃんの、生きる力の物語です。

 

大阪北部地震の大ショック

2年前の2018年6月、大阪府の高槻市で震度6の地震が発生し、多くの建物が崩れました。
しかも、地震の数日後、集中豪雨が高槻市を襲い、多くの人が打撃を受けました。
その中に、「人」だけではなく、大打撃を受けた「仲間たち」

 

そう、小さな動物たちがいたわけです。

 

 

(※写真は実際のものではなく、イメージです。 PIXABAY提供)

 

高槻には、高齢の私のおばさんが従妹と一緒に住んでいました。
心配で、私は地震の後、車でおばさんのところに駆けつけました。
大きな揺れがあってものすごく気持ちが動転したとのことですが、
おばさんも従妹も大丈夫でした。

 

「よかった。」
そうして私は帰りましたが、
そのあとです。
集中豪雨が降って、地震の上にダブルパンチが襲ってきた。

 

従妹から電話がかかってきました。
「助けて。」

 

大丈夫か?
心が動揺しました。
その
私にSOSが必要な方は、
おばさんではなく、従妹でもありませんでした。

 

放っておけない

 

「シゲヒロ兄さんなら、必ず助けてくれる。」
そういって
従妹は私にSOSを伝えました。

 

従妹は
大雨の中で、いのちの火が消えそうになっている小さな子猫を見つけたのです。
手のひらに乗るほどの、本当に小さな子猫。
まだ生まれて数か月(いや、1か月くらい)でしょう。

 

雨に濡れて、体の毛が泥だらけで、
何かに引っかかったのか、片目を怪我していて
声も出せない
かわいそうな赤ちゃんネコでした。

 

あとで当時の写メを見せてもらいましたが、
本当にかわいそうで、見ていられませんでした。

 

きっと寒かったんです。
怖かったんです。
地震の衝撃で、お母さん猫からはぐれ、そのうえ雨に打たれ
意地悪な猫たちに目を引っかかれたのでしょう。

 

「放っておけない」
従妹は手のひらに子猫ちゃんを乗せて泣いたそうです。

 

 

従妹はこの子猫を拾い上げ
家に連れて帰りました。

 

ただ、問題がありました。
従妹の家には犬がおり、また、おばさんもかなり高齢なので
ずっと世話するのが難しかったのです。

 

従妹はその時、私に電話するのをためらっていたそうです。
親戚づきあいをあまりしなかった私なので、断られるかもしれないと思ったそうです。
おばさんがその時言ってくれたそうです。

 

「シゲヒロちゃんなら、
きっと助けてくれる。
シゲヒロちゃんは子供のころからやさしいから」

 

それで勇気を出して私に電話してきました。

 

幸せがやってきた

 

電話を受けて、私は一瞬心配になりました。
うちにも、結婚したころの12年前に雪の中で助けた猫のラッキーたんがいる。
相性が合うだろうか‥‥

 

しかし、そんなことは言ってられませんでした。
おばさんもかなり高齢だし、これ以上負担はかけられない。

 

こうして私たち夫婦は、このかわいそうな子猫を引き取って家族に迎え入れることにしました。

 

こういうわけで高槻まで
車で子猫ちゃんを迎えに行きました。

 

 

本当に小さくて、かわいらしい子猫ちゃんでした。
「初めまして。これからぼくがパパだよ」

 

でも、子猫ちゃんは
声が出しにくいのか、とても弱弱しい声でした。
目もまだ、けがをしています。
くしゃみもしていて、風邪が長引いていました。

 

「もう大丈夫だよ
幸せになろうね」

 

子猫ちゃんは
「ニャー」と言いたそうに小さな口を開けたけど
声は出なかった。

 

よっぽど地震と豪雨が怖かったんだ・・・・

 

「大丈夫だよ
大丈夫だよ」

 

こうして子猫ちゃんは車に揺られて
わが家にやってきました。

お姉ちゃん猫ラッキーたんの温かいお迎え

 

家に入るなり
奥さんの一言
「わあ、かわいい!
もう大丈夫だよ。ここがお家だよ」

 

子猫ちゃんは口を開けるけど、声が出ない。
「かわいそうに、声が出ないのね」
奥さんは涙を流して、子猫ちゃんを抱きしめました。

 

2階から、ラッキーたんが下りてきて、「ニャー」とお出迎え。

 

 

(お姉ちゃん猫のラッキーたん 子猫から育てて11歳。)

 

子猫ちゃんは「ハッピーちゃん」という名前でした。
従妹がつけてくれました。

 


わが家について
「ハッピーちゃん」と呼ぶと、
先に我が家で育ってきたラッキーたんが
「にゃー」と返事しました。

 

「ハッピーちゃん!」
そうすると
ラッキーたんが「ニャー」

 

なるほど、ハッピーもラッキーも響き方が一緒だ。

これでは、2匹ともどうしたらいいか困るだろう・・・

 

「名前を付けなおそう」
それで、
女の子だから、お洒落な名前がいいと思いきや
私は、
「高槻から来たから
私の尊敬する高山右近殿の奥方様のユスタ様の名前をもらって
ユスタにしよう」
と言い出し、そのまま「ユスタ」に決まりました。
?
こうして、ユスタちゃんと私たちの、
お茶目でおてんばな毎日が始まったのです。

 

目の傷は一生治らない?

 

家についてまず安心したのは
ラッキーたんがユスタちゃんにとっても優しかったこと。
ユスタちゃんは、まだ風邪をひいていて、
震災のPTSDと思うのですが、声も出ない。

 

ラッキーたんがユスタちゃんに寄り添っていることも多いです。
そしてユスタちゃんを、動物病院へ。
「目の傷はおそらく一生治らないでしょう」

 

 


しかし、
必ず治ると信じて
毎日目薬を差してあげ、
風邪薬も飲ませてあげました。

 

今ではすっかり治って、とてもお茶目で
家の中を走り回っています。

わが家に来た頃は、山積みになっている私の書籍や辞典が落ちて
ドンと音がしたら、動けなくなっていました。
きっと震災の記憶があってショックがまだ残っていたのだと思います。

 

 

おばさんの帰天を乗り越えて

 

私はよく、ユスタちゃんの写真をよくFacebookに投稿しました。

 

従妹が見てくれて、いつもそれをおばさんに見せてくれました。
おばさんはそれを見て、安心してくれていたと聞いています。

 

去年の年末は、おばさんから
大きなシクラメンの花のプレゼントを送っていただきました。
もう何年も病気で苦しい私の奥さんのために
送ってくださったのです。

 

?
(おばさんがお見舞いに送ってくれた、シクラメンの花)

 

その1か月後、
おばさんは天国に上がられました。
昨日まで元気だったのに、まるで御仏がお迎えに来られたようだったと聞いています。

 

「私こんなに大きくなったよ」
おばさんの帰天の連絡を受けてすぐ、
1歳半に成長したユスタちゃんの写真を
Facebookに投稿しました。

 

きっとおばさんは、まだ従妹のそばにいて
フェイスブックを見てくれるだろう。
そう信じて投稿しました。

 

葬儀の時には
おばさんの枕辺にユスタちゃんの写真を飾らせていただきました。
「シゲヒロちゃんは優しいから
きっと大切に育ててくれる」
と言ってくださったおばさんの言葉を思い出すと
涙が止まりません。

 

おばさん、
私たちは、これからもユスタちゃんを大切に育てていきます。
天国から見守ってください。

 

このブログのアシスタントに就任したユスタちゃん

 

そんなこともいろいろありましたが、
ユスタちゃんはすっかり大きく成長して、

 

この5月で2歳のお誕生日をお祝いしました。

 

 

最初出なかった声も、少しずつ出せるようになってきました。
お茶目でおてんばさんですが、
声はとても、おしとやかでお上品です。
「ユスタちゃん、よかったね。」

 

それで、このブログを始めるにあたり、
ユスタちゃんにアシスタントになってもらえないか、依頼しました。

 

きっと、これだけ美人だから
高額なモデルフィーが必要かなと思いきや、
ユスタちゃんは破格の条件で引き受けてくださいました。

 

それは
毎日パパが帰ってきたら、甘えさせてくれることと、
ごはんは切らさずにお皿に入れてくれること。

 

今日も私の上に乗っかって、
顔をペロペロ舐めて甘えてくれます。

 

そんなユスタちゃんですが
「愛のライティング」のアシスタントとして
しばしば出演されますので

 

応援よろしくお願いします!

 


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