東京オリンピック開会式2020〜7月23日池江璃花子選手の声に号泣

今日、TOKYO2020の開会式のはずでした。
コロナウイルスさえ、この世に出現しなければ。

 

しかし、来年の今日は

 

絶対に、ぜっっったいに、
開会式を迎える。

 

この希望と誇りを、アスリートも、応援する私たちも持ち続けようじゃないか。
今日の記事はその思いをぶちまける。

 

TOKYO2021への希望を絶対に捨てない

 

 

まず何も言わず
この動画、見てください。

 

ANN NEWSチャネルより↓
http://iodine-ex.jp/Lm372/121841

 

 

 

いろんな思いが込みあがってくると思います。

 

私は、泣いてしまった。
ただ泣いたんじゃない、

 

声を出して号泣してしまった。

 

自分自身も病気で苦しい私の奥さんが
「大丈夫?」と慰めてくれた。

 

コロナ禍に負けずに希望を持ってほしい

 

池江璃花子選手。
日本を代表する水泳選手です。

 

白血病で倒れ、苦しく命がけの闘病を乗り越えて、
2024年のパリ五輪を目指して再びプールに入った。

 

本当なら、自ら、さらに次のパリ五輪PARIS 2024 に向けて希望とヴィジョンを持ちながら

 

今日のこの日、
TOKYO2020に出場する仲間やライバルたちを
魂を込めて応援するはずの日だった。

 

それも許されなくなった。

 

コロナウイルスのパンデミックは
私たちから
2020年の東京オリンピックを奪った。

 

ダブルの打撃です。

 

白血病の闘病がいかに苦しいか、
そして、いかに命がけか
それは私には痛いほどわかります。

 

それを乗り越えたということは
医療や福祉の人々の知恵と努力
そして
闘病してきた池江さんご本人の強い意志と希望が叶えた奇跡です。

 

私は
池江さんの復帰を心から祈り、応援していましたし、
今も応援しています。

 

そして今年の出場が出来なくなった選手の皆さん。
来年きっと出場してくれることを信じ、
オリンピック・パラリンピックの選手たちを
応援しています。

 

今日、池江さんは、誰もいない国立競技場で
灯されるはずの聖火を持って

 

「希望」

 

 

それをお伝えされました。

 

池江璃花子選手の真剣な思いを理解してほしい

 

池江さんは、病気を克服されましたが、

 

きっと、
この日に国立競技場で出演するのは
体力的にも、
そして感染のリスクの上でも、

 

大変な中で出演されたんだと思います。
たとえ退院されたあとでも、どれだけ健康に気を使わねばならないか、
私は本当に知っているのです。

 

だから、
池江さんのメッセージは、なんの曇りもなく、真剣そのものです。

 

しかし、
動画に次々に寄せられたコメントを読んで

 

私は膝の力が抜け
リビングの隅で倒れてしまった。

 

 

賛否両論だと思うが、俺は許せない

 

 

池江さんの動画に対してつけられたコメントの心ないことに
私は唖然とした、
というか、
私も傷ついた。

 

見てくれ。↓

 

 

 

 

見たかい??
こんな破廉恥な言葉を書く人が普通にいることに、

 

心が砕けたよ。

 

それに、こういう、心ないメッセージに「いいね」がつけられている社会は

 

病んでいる。

 

コロナで恐怖と不安でいっぱいいっぱいになり、
生活がぎすぎすになったら、

 

命がけで動画の撮影に応じた池江選手の
魂からのメッセージも
こんなふうに汚されてしまうのか!!!!

 

汚されてしまうのか!!!!!

 

 

私は、もう一度泣いた。

 

時には生活と生命よりも大切なものがある

 

人間には
守られるべき当然の人権がある。

 

生きて、いのちを守る権利と、
健康で文化的な最低限の生活を営む権利。

 

しかし、

 

時にはそれよりもっと大切なものがあるんだ。

 

それは
「わたしの尊厳」
「わたしの誇り」

 

 

 

東京オリンピックを目指してきた選手、
真剣に応援しようとしてきた人々にとって、
今回のオリンピックの延期(さらに来年できるかどうかの不安)は、

 

生活の基盤を失ったショックに等しいか、
それ以上の打撃と痛みを受けていると思います。

 

 

私たちにとって一番大切なことは何だろう。

 

お金、医療、ライフライン。

 

これらは
生活に必須のものであり、
私も社会福祉士として、
生活の基盤が危ない人たちをたすけるため、
このコロナの今、寝る時間を削って人々を援助しています。

 

一方、
生活を守る、
コロナから命を守る
そのことしか頭にない社会では
お互いに人と人が、誹謗や中傷をし、差別をしあっています。

 

これこそ、コロナと同じかそれ以上に恐ろしい事態です。

 

気づいてほしい。

 

お金や生活、医療は当然最も大切なことに含まれますが、
時にはそれ以上に大切なものがあるのです。
たとえお金がなくても、
体がボロボロでも、
いや
たとえ、時の政治権力者に命を奪われても、

 

ぜったいに手放せないものが
私たち人間には

 

あるのです。

 

それは
「私の誇り」
「私の尊厳」

 

 

現代の世の中では
生命や生活と同時に、密接に、
「その人の誇りと尊厳」の権利を守らなければならない。
その必要性は
世界中でますます高まっているということを
先日参加した国際ソーシャルワーク大会では
深く気づかされました。

 

昔々の日本を振り返ってください。
おじいちゃん、おばあちゃんに聞かされているかもしれませんが、
明治時代以前の日本では
たとえ赤貧の憂き目に遭おうとも「お家の誇り」を大切にしたこと、
「武士の魂」といわれるように、時には命を失っても大儀と誇りを守ったこと。

 

 

私の父は74歳で病気で言葉も何もかも失い亡くなっていきましたが、
元気なころ私に言い残していた言葉があります。

 

「たとえすべてのお金や財産も失っても、
たとえ病気で体が動かなくなっても、
たとえ認知症になって考えることすらできなくなっても
おまえには絶対に失うことがないものがある。

 

それは
主を愛する心。
主を敬愛する心。

 

それだけは、どんなことに縛られることも、
奪われることはない。
いいか、
ぜったいに守り抜け。」

 

父はクリスチャンだったから「主」という言葉を使いましたが、

 

これは
宗教思想に関係なく、
「自分自身の尊厳」であり
「魂の自由」であると
私はみんなに語っています。

 

コロナ時代だからこそ、私は立ち上がる

 

話をオリンピックに戻すと、
オリンピック選手も、そして応援している私たちも

 

「わたしの尊厳」
「わたしの希望」
「わたしの誇り」
を失いそうになっているから、

 

生活苦とダブルパンチで痛いのです。

 

私自身、
オリンピックには出場しませんが
オリンピック選手を応援しています。
そのことに加え、
わたしは、一人の音楽家として
コロナの禍で活動の場を失い、
ショックを受けている一人です。

 

昨年私は韓国で開かれた国際オカリナフェスティバルにオカリナ演奏家として招かれ
多くの友人に恵まれました。

 

そして
今年はまた再会し、手を取り合い抱き合う予定でした。
それが出来なくなったことで、私だけでなく、
多くの演奏家が心に傷を受けました。
(2019年5月に開催された、ホンソン国際オカリナ・パンフルートフェスティバル。
今年はコロナウイルスの影響で開催が出来なくなりました。)

 

生活基盤が脅かされる、
健康上の不安も深刻になってくる、
それとダブルで

 

「誇りと希望と友情」

 

にダメージが来るのは、
これは耐えられず痛い。

 

 

しかし、この心の痛み、希望の喪失は、
医療だけでなく、総合的で、分野をまたがった、
声の掛け合い、励ましあい、力の添えあいで、乗り切るべきだと私は強く思います。

 

 

コロナの困難のさなかにあって、生活のすべを打ち立てること

同時に

 

「わたしの誇り、夢、希望」

 

今まで以上に

 

もっと

 

 

もっと

 

 

もっと

 

 

自ら気づき、
人に気づきを運び、
気づきを分かち合い、大切にし、推進してきます。

 

そのために私はこのブログを立ち上げました。
そして、わたしは社会福祉士として、
「人々の生活を守る」ことと同時に「魂を守る、誇りを守る」ために
立ち上がります。

 

わたしは立ち上がります。

 

 

 

この記事には賛否両論あると思います。
ご意見ぜひ、お待ちしています。

 

左側にある「お問合せ」から
どんなご意見でもいただければお返事します。

 

 

(写真引用:PIXABAY https://pixabay.com/
東京2020公式ページ :https://tokyo2020.org/ja/news/one-step-forward-plus-one-message-ja


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