原爆記念日8月9日に響いたこんな美しい歌〜オカリナ3重奏で祈る

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長崎に原爆が落とされた1945年8月9日、
天国のように美しい歌が焼け野原に聞こえていたという。

 

その歌は、実は私が結婚式の曲に選んだ歌でした。

 

不思議な縁を感じます。
この歌とエピソードをどうしても紹介したくて書きました。
あなたに生きる力を届けたいから。

 

涙すら流れる こんなに美しい聖歌の音色

 

日本に、こんな美しい聖歌があったんです。
この聖歌は、私達の結婚式の入堂の歌に選びました。

 

 

 

この聖歌に私は生命を救われたから。
そして、1945年8月9日、
そう75年前の今日
魂が揺さぶられて打ち震えるほどのお話があったから。

 

初めてこの聖歌を聞いた中学の頃

 

あれは中学生の頃でした。

 

私は、何もかもを憎んでいました。
学校に行くのも嫌でした。

 

もう僕は、生きていられない。
ここまで追いつめられていました。

 

中学生くらいの年代に襲ってくる心の闇の恐ろしさは
体験した人しかわからないでしょう。

 

もう明日なんかないかもしれない・・・
そう思って、ふらっと行った教会で
その歌を聴きました。

 

そこで聴いた

 

何重にも合唱されたこの歌のハーモニーが忘れられません。
後半の部分でシスターたちが
ソプラノのハーモニーをきれいに歌われて
その天国のような美しさに
涙が流れて止まらなかったんです。

 

 

歌を聴いた帰り道
忘れないうちに、
ポケットにいつも持っていた小さなオカリナを出して吹きました。

 

駅のプラットホーム。

 

恥ずかしさも人の迷惑も何も考えません。
一心に吹きました。

 

心の闇は解決されないままでしたが、
その歌は
その闇の方向に向かないようにしてくれました。

 

その後もいろんな事があった。
大人になってからも、もっといろんな事があった。
普通の人ならとうてい体験したくないことも体験した。

 

でも、
心がピンチのとき、
この歌が心に奏でられて、救ってもらいました。

 

この歌がなぜここまで心を打つのか。
私はその話を知りませんでしたが、

 

大人になってその話を聞いたとき、
なにか不思議な糸を感じ、
涙が止まりませんでした。

 

時代は75年前の今日にさかのぼります。

 

1945年8月9日 長崎の出来事

 

1945年8月9日の出来事、わかりますか?

 

 

 

そう。
1945年8月9日、
長崎に原子爆弾が投下されました。

 

長崎に投下された原子爆弾は
一瞬のうちに長崎の街を火の海にし、
多くの人々を焼き尽くしました。

 

                   (写真提供:PIXABAY https://pixabay.com/ja/ )

 

 

長崎に原子爆弾が投下されたその日の夜中
長崎大学病院放射線科の看護婦たちは
生き残った人たちを助けるため、
夜を徹して捜索していました。

 

焼け野原にかすかに聞こえてきた天国の歌声

 

見渡す限り焼き尽くされた地獄のような街を
探し続けている中で

 

 

がれきの中に
とぎれとぎれに聞こえる
聖歌の歌声。

 

「どこ?
いま助けに行くからね。」

 

聖歌は「み母マリア」でした。
とぎれとぎれでしたが
天国のようなハーモニーの美しい女声混声合唱でした。

 

看護婦たちは必死で探します。

 

 

「どこにいるの?
どこで歌ってるの?」

 

しかし、
歌声はとぎれとぎれになり

 

そして小さくなり、

 

やがて聞こえなくなりました。

 

 

夜が明けたころ
学校の運動場の草むらの中に

 

7〜8人の修道女がひとかたまりになって
手を取り合って冷たくなっていました。

 

「歌を歌ってたのは
あなたたちだったのね・・・・」

 

看護婦は涙を流しました。

 

もう動かなくなっていた修道女たちは
ひどい火傷で本当に痛々しい姿でしたが
口もとは天国で楽しんでいるかのように
微笑んでらっしゃったそうです。

 

 

平和の歌声は戦争が激しくなるほど高く響く

 

永井隆博士をご存知でしょうか。

 

エッセイ「ロザリオの鎖」を執筆され、
映画「この子を残して」のモデルになられた、
当時の日本では第一人者の原子物理学者です。

 

永井隆博士の奥様は、8月9日の原爆で
爆心地におられ、お亡くなりになったのですが、

 

奥さまが生前、教師をされていた長崎純心聖母会の学校では
空襲が激しくなってきたころから
この「み母マリア」などの聖歌が毎日歌われていたそうです。

 

恐怖の日々、怖い日々だからこそ
聖歌を歌っていたそうです。

 

だから多くの生徒たち、教員たちはこの歌をよく知っており

 

辛い時に心で歌い

 

声に出して歌い

 

原爆に被曝しても、
いのち尽きるまでこの歌を忘れなかったと伝えられています。

 

 

永井隆博士の奥さまは
爆心地にいて、瞬時に亡くなられました。

 

永井夫妻の通っていた浦上天主堂も瓦礫になりました。

 

(爆心地になった浦上天主堂。 今は修復されてこんなに立派なカテドラルに。)

 

そして
たくさんのシスターや神学生たちも被爆し、
ひどい火傷を負って亡くなっていきましたが、

 

 

歌と平和への強い意思を忘れることなく
自分自身も、また周りの人をも、歌で癒しながら
天に召されて行ったのです。

 

 

生きたいのちで

 

いのち尽きるまで

 

歌いつづけられたのです。

 

 

不思議なつながりを感じる魂の旋律

 

 

私が
このエピソードを聞いたのは、

 

この歌を初めて聞いた中学生の頃から
30年後。
もう
いい大人になったときでした。

 

あのとき聞いた歌。
中学の時、心の闇の囁きに耳を貸すことをやめ
生きようと決心させてくれた歌。

 

この歌にこんな話があったなんて!

 

これを知ったとき、
涙で震えが止まりませんでした。

 

なにか、
この歌を歌いながら天に登っていったシスターたちが
天国から、私にこの歌を聞かせてくれたのではないかと思えて
仕方がありません。

 

なにか不思議な縁を感じる歌です。

 

だからこそ結婚式の入堂曲に選びました。

 

この歌をオカリナで演奏し、
みんなで歌えるように、歌詞をつけました。

 

平和を祈り、一緒に歌いませんか?

 

私の演奏動画はこちらです。
オカリナ「み母マリア」カトリック聖歌305番
〜みんなで歌おう カラオケ聖歌

 

http://youtu.be/OPuAuNVs1VE

 

 

歌はその場所に天国を作る

 

歌。
それは天国を作ります。

 

じゃあそれはどこに作られるのでしょうか?

 

空のかなた?
神の世界?

 

いいえ、
天国は歌っている今、ここにあるんですよ。

 

「み母マリア」を合唱しながら
亡くなっていった修道女たち。

 

どれほど火傷で痛かったでしょう。
苦しかったでしょう。

 

 

しかし、

 

このうたとともに
魂は天国にあったんだ。

 

天国とは
空のかなたにあるのではありません。

 

どのような苦しみの真っ最中でも
私たちの魂の中にあって

 

それを歌うとき

 

そこは
もう天国なんですよ。

 

 

 

そして私もそれを体験した。

 

心の闇で命を失いそうになっていた中学の時
この歌を聞いたその瞬間に
天国の中に魂があった。
そんな記憶が私にもあります。

 

だから言いたい。

 

 

どんなに苦しいときも、
どんなに惨めなときも、

 

いつになったら乗り越えられるのかと泣いてしまうときも

 

乗り越えていない今も
あなたの魂の中に天国は、
ある。

 

だから、なんでもいい、
自分の大好きな歌を聞き、
自分の大好きな歌を歌おうじゃないか。

 

 

 


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