コロナで面会制限の施設で〜半年ぶりに母に面会して

コロナ,面会制限,施設

私の母は、特別養護老人ホームに入っています。
コロナウイルスの感染防止のため、
もう約半年、息子の私すら面会できません。

 

でも今日は、会ってきました。
半年ぶりに会ってきました。

 

どうやって会ったのかというと・・・

 

コロナウイルスの流行で面会制限がかかる

 

父が亡くなって以来、
私の母は、実家で一人暮らしをしていましたが、
7年ほど前に認知症の症状が出始め、

 

一人でバスに乗って買い物に行くのはいいが、帰ってこられなくなる、
肉や卵を買ってくるのはいいが、冷蔵庫じゃなくタンスに入れてしまう、
そんな日々が続いていました。

 

さらに、数年前に倒れて意識不明になり
命をとりとめましたが、
もう自分で動くこともできず、
話しかけても返事することもできず、
食事も口から取れず、
胃に直接チューブで栄養を送る「胃ろう」という方法で
毎日を過ごしています。

 

もう何を話しても返事してくれない母ですが
私が面会に行って、オカリナを吹くと、
表情が和らぎます。

 

だから、
言葉はかわせなくても、
オカリナを持って面会に行っていました。

 

母が元気な頃、
私は何の親孝行もしていなかった。

 

せめて、母の好きな演歌を聞かせてあげたいと、
吹いていました。

 

しかし、コロナウイルスの緊急事態宣言が出されてからは、
老人ホーム側も慎重な対応を取るようになり、

 

家族さえ面会制限がかけられてしまいました。
内心、こうして徹底的に対策をしてくださることで、安心なのですが、
もう何ヶ月も会わないと、本心、心配で寂しかったです。

 

動画でつながるアイパッド面会

 

しかし、
なんとか、家族の絆を大切にできるよう、

 

施設側もいろいろ工夫してくださり、

 

 

直接会うことはできなくても、
施設の玄関にアイパッドを設置し、
アイパッドを通じてお話できるようにしてくださいました。

 

私の母の場合、
会話ができないので、アイパッド通じて動画電話できても、
コミュニケーションが取れません。

 

それで、オカリナだったら、
「シゲヒロが来てくれたんや」とわかるだろうと思い、
アイパッド越しにオカリナを吹いていました。

 

こうした面会制限は、まだ続いており、
当面は、会えないでしょう。

 

認知症で
いま何が起きているかさえわからない母ですが、
やっぱり、直接私が訪ねていくと
その瞬間はわかってくれていると感じるから、

 

早く面会制限が解けて普通の時代に戻って欲しいと、
本音では思っています。

 

それが、今日、あることで、会うことができました。

 

今日やっと面会できたよ

 

母は、自分で食事も取れなくて、
胃に直接チューブをつけて栄養剤を送る「胃ろう」を使っています。

 

この「胃ろう」、
半年に1回は交換しなければならないのです。

 

交換は病院に行って手術で行います。
そのときは、家族が立ち会わなければならず、
面会制限だの言ってられません。

 

こういうわけで、
今日私は、短い時間ですが、母に直接会うことができたわけです。

 

半年ぶりに
直接会うと、動画で会うのとはぜんぜん違うんですね。

 

私にしかできないこと

 

実際に直接母に会って、
私はあることに気づきました。

 

私にしかできないこと。

 

 

こんなことに
今の今まで何故気づかなかったのだろう。

 

私は病院で手術を待ってる間、ずっと母の手を握っていました。
体が固まってあちこち痛いと思うから、
さすってあげました。

 

アイパット面会ではできなかったけど、
こうして一緒にいられて、できました。

 

手を握ったり、さすってあげたりするだけなら
だれでもできると思うでしょう。

 

でもこれは私にしかできないと気づいたんです。

 

どんなに優しく接しても私の代わりができない理由

 

優しく手を握ったりさすったりするくらいのことは
施設の職員さんが毎日してくれているし、
私が行けなくても、プロの介護福祉士の方や看護師の方がしてくれています。

 

でも、それでも
できないんです。
私の代わりはだれもできないんです。

 

手を握っているとき、さすっているとき、
私は心のなかで「お母ちゃん」と思っています。
これは
だれも代わりができない。

 

この事にやっと気づきました。

 

最近まで、
私は母になにもしてあげられない、
話しかけても返事ができず、
オカリナを吹いても拍手ができない母に
私は何が出きるのだろう、
いくら面会に行けても、何が出きるのだろう、

自分を責めていました。
しかし、
愛を込めて
感謝を込めて
手を握ること
しんどそうな肩とか背中をさすってあげること。
これはだれも代わりにできないんです。

 

もちろん
老人ホームの職員さんも毎日してくれていると思います。

 

でも
不器用でも
下手くそでも
「お母ちゃん」と思って手を握るのは
息子の私しかいないから。
これは
どんなに熟練の職員さんにもできないんです。

 

どんな時も見守ってくれてきた母に真心込めて

 

母はこんな私を
育ててくれました。
ぐれたときもあった。
世の中じゅうから孤立したときもあった。
親不孝だった。
口を開けば、母を責めたり、小言を言ってばかり。
母が認知症かどうかわからないとき、
ちぐはぐなことをする母に、
おかあはアホやないか、など、ひどいことを言った。
でも
母はどんなときも
私をokと思ってくれていました。
どんな状態の私も
いい私も
悪い私も
いつも心配してくれていました。
今まで、
意地をはって手も握らなかった私ですが、
「お母ちゃん」

親しみ込めて
感謝込めて
愛込めて
握ることができました。
やっと実際に面会ができたのが嬉しくて
一緒に写真を撮ってもらいましたが
ちょっと待てよ
いつもおしゃれな母がもし元気だったら
「こんな格好、アップしてもらったら困る」
と言うに決まってるので、
記念写真はアップしません。

 

その代わり、
かなり前に吹いた「かあさんのうた」をあげました。
https://youtu.be/2ZghzWHQyG8


ページの先頭へ戻る